2010年9月26日日曜日

「公民的資質」って,「市民的資質」とどう違うの?

初等教育に携わる者,特に小学校の教師ならば,必ず耳にしたことがある言葉,「公民的資質」
社会科の究極目標は,戦後社会科の創設以来変わらず「公民的資質の基礎を養う」ことにあります。
しかし,今回の学習指導要領改訂では,「公民的資質」の意味合いが「市民的資質」にシフトしているように思います。解説編を読んでいると,市民という言葉があちらこちらに登場することに気付きます。

そこで,「公民的資質」と「市民的資質」の違いについて,簡単にまとめてみたいと思います。

1969年版『小学校指導書 社会編』では,「公民的資質」について次のように示している。
  「公民的資質というのは,社会生活を送る上で個人に認められた権利はこれを大切に行使し,互いに尊重し合わなければならないこと,また,具体的な地域社会や国家の一員として自らに課せられた各種の義務や社会的責任があることなどを知り,これらの理解に基づいて正しい判断や行動のできる能力や意識などを指すものである。したがって,市民社会の一員としての市民,国家の成員としての国民という二つの意味を含んだ言葉として理解されるべきものである」とある。
  つまり,「公民」とは,市民社会の権利主体である「市民」と,国家の一員として果たすべき義務を背負った「国民」という二つの概念のバランスの上に設定されていたと言える。

  市民とは,認められた権利をもち,誰もが対等な立場で社会的決定に参加することができる一方で,様々な義務も負わなければならない存在である。これは,国民についても共通していることである。両者の違いは,「市民」は,その社会に属するすべての構成員を指すのに対して,「国民」は国家という政治的な枠組みによってその範囲が限定されることである。

具体例を挙げて言えば,あるところに住んでいる外国人は,自分の生活圏であるごく身近な社会に在っては,地域社会を形成する成員=「市民」である。外国籍であろうとなかろうと,皆と同じように地域行事に参加できるし,地域のルールに従ってゴミ出しも行わなければならない。その一方で,国籍が外国だと日本の「国民」としては認められない部分もある。例えば,選挙権・被選挙権などは,日本国籍の者でないと認められない。これは,国家という政治的枠組みがあるからである。
つまり,「市民」が特に枠を設けない開かれた存在であるのに対して,国家という枠によって規定されているのが「国民」と言える。

現代社会は,国際化,地方分権化,高度情報化が急速に進む社会であり,それに伴い人々の価値観も実に多様化している。このような中で個々人は,社会的な問題について,事実関係を認識し状況を把握した上で,優先したい価値に基づいて判断を下さなければならない。さらに,個人の価値判断の結果は,より多くの人々により社会的・公共的価値に照らして全体で調整され,望ましい方向へと改善されていくことになる。

このような社会にふさわしいのは,国家という枠にとらわれることなく,開かれた認識・価値の形成を保障する「市民」の育成であると考える。また,社会科の目標は,戦後の社会科創設以来「公民的資質」の育成とされてきたが,今回の学習指導要領改訂にもみられるように,「市民」として社会を形成・参画できる資質の育成を目指すのであれば,「市民的資質」と呼ぶ方がより的確にその理念を表していると言える。

以上のようなことを踏まえ,学校教育においては,実際の社会が形成されるプロセスと同様の原理で,発達段階に応じた授業を行うことにより,求める「市民的資質」の基礎を育成しなければならないと考える。


 ※参考文献
  文部省,1969,『小学校指導書 社会編』。
  文部科学省,2008,『小学校学習指導要領解説 社会編』。
  桑原敏典,2004,『小学校社会科改善への提言-「公民的資質」の再検討-』日本文教出版。

 今回は,いくつかの文献を基に,かなり強引にまとめてみたが,もちろんこれはあくまでも解釈論ですので,批判や反対意見等いただければ嬉しく思っています。

1 件のコメント:

  1. はじめまして。
    この件について議論させていただいてもよろしいでしょうか?

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